2015年 09月 22日
アドリブ
先日の大洪水の被害が及んでいないことを、お祈りしております。
私はといえば、川村美術館に行こうと思っていたのに、
なんと扁桃炎で高熱を出して、寝込んでしまいました (T_T)
それでも寝ながら、懐かしい「りの君」のDVDを見たり、
まだ読めていなかった昔のインタビュー本を読んだりと、
意外と充実の(?)毎日です。
ただ、最後に見た9月18日の舞台で、
旬くんも何回か鼻水をすすっていたので、心配です。
でも、ちょうどうまいタイミングで鼻をすするので、
ケンが泣きそうなんだな・・という演技に見えて、
逆に良かったりもしましたが。
さて、舞台はといえば、
オペラシティ側(新宿寄り)の改札からエスカレーターを登り、
この池のある道を通って、新国立劇場の正面入口から入るのが好きです。
劇場に直接上る改札は、階段しかないんですよね (^_^;)
この ↓ポスターのときの旬くんはまだふっくらとしていますが、
舞台が始まってからは、本当に細くなりました。
特に、初日はスーツの太ももがパツンパツンだったのに、
最近はダブダブなので心配なほど。
もしかして、動きにくいとかでスーツの仕立てを変えたのかな?
正面入口からこの階段を降りると、小劇場のホールです。
本当に舞台が近くていい劇場だと思いますが、
一つ不満なのはカテコの対応。
初日こそ、3回のカテコを許してくれましたが、
それ以降は私が行った時はいつも、2回しか許してくれません (-_-)
これまでの劇場では、
たとえばお決まりの2回が終わって照明が点いても、
客席から拍手が鳴り止まないかどうかの雰囲気を見てから、
終了のアナウンスがかかりました。
ところがこの小劇場では、
その日が神回で客席が感極まって拍手し続けているのに、
照明が点くと間髪入れずに無機質なアナウンスがかかり、
感動の余韻を無理矢理断ち切られます。
終わったんだからさっさと帰ってくれないと、
私たちも仕事終わらないでしょう?
というスタッフの声が聞こえるかのうようです。(←被害妄想?)
せめて、照明がついても、
もう少しゆっくりと現実に戻る時間をくれたらいいと思います。
さて、愚痴はこのくらいにして (^_^;)
本題の「アドリブ」です。
この脚本、台詞は遊びの入る余地がないくらい、
完璧な言葉の応酬なので、ほとんどアドリブはない気がします。
あのマシンガン・トークに大きなアドリブを入れてしまったら、
勢いに乗った流れが途切れてしまいますよね。
その分、動きのアドリブが多いです。
ロスコは、たとえば一つの台詞を日によって、
上手・下手・センター・椅子に座って・・と、いろいろな場所で言います。
演出効果を考えて変えているというより、
興奮してしゃべっているうちに、思わずそこに行ってしまったというような、
ロスコらしさ(?)が出ているんだと思います。
そして、旬くんが全く戸惑うことなく
自然にそれに対応した動きを見せるのも、
もう二人が、すっかりケンとロスコになりきっているからですよね。
小劇場らしいナチュラルな(舞台じみていない)演技なので、
もう、お芝居を見ているというより、生の二人を見ているようです。
そのせいか、ささやくような声の台詞は
舞台上のバルコニーSでも聞き取りにくいほど小さい時もあり、
後方席だとちょっとつらいかもしれません。
ケンはといえば、
一人残されて絵を見るシーンがあるのですが、
これも横手にある絵を見たり、正面の絵を見たりと変えてきました。
私的には、座り込んで横手の絵を見る方が好きなのですが、
これから旬くんが最終的にどれを選んでいくのか、楽しみです。
さて、以下はネタバレになりますので、
見たくない方は、また後日のぞいてみてくださいね!
ケンとロスコ、二人の関係ですが、
その匙加減ってなかなか微妙です。
私が一番好きなのは、
最初はロスコに畏敬の念を抱いて、
やがてちょっと親しくなった感じの口利きになり、
それから不満がたまって反発を隠さなくなり、
でも最後にやはりロスコを慕う気持ちのほうが強いとわかる、
そんなケンです。
旬くんの本当に微妙な表情の演技、その仕草で、
ケンの心の中が手に取るように感じ取れて、
どなたかの感想にありましたが、
この舞台はエンタメではなく、芸術だというのがうなづかれます。
そしてそういう時は、ラストで涙が止まらなくなります。 (T_T)
でもある回では、
ケンがどんなときもロスコへの愛着が出てしまっていて、
その分、ヒリヒリした二人の関係が薄まって、
ラストの感動が少なくなってしまった気がしました。
かと言って、本当に憎み合っているのかと思うほど激しく対立すると、
ここまでされてロスコに愛想を尽かさないのか?
とも思ってしまいます。
たとえばこのシーン、
最初の頃はロスコがケンを床へ押し倒す程度だったのですが、
ある時はケンの襟首をひっつかんで1m以上引きずって、
旬くんも本当に苦しくて(?)、バタバタともがいていました (T_T)
その次の時には、ロスコも少し手加減して引きずったので、
ちょうどいい演技になっていましたから、本当に舞台は面白いですね。
この舞台は、見るたび見るたび、たくさんのことを考えさせられて、
私にとっては最高の作品です。
自分の中の真実に価値を求める芸術家の矜持、
これからの時代を作っていく若者の柔軟な感性、
いえ、これは年齢の差ではなく、
その個人の気質の差なのかもしれませんし、
やはり、時代の価値観の差なのかもしれません。
そして、「所詮、ただの絵です」(でしたっけ?)と言った時の、
ケンの気持ちが知りたいです。
ロスコがレストランのための絵を描くことは非難して、
その絵を売らないと決めた時、大喜びする。
それなら、「この絵たちは私を許してくれるだろうか?」
とロスコが問いかけた時、
「許してくれません、だから売らないでください」と
言ってもよかったのに。
自分だって画家として生きていこうとしているなら、
作品に命を注いでいるなら、
「ただの」という言葉は、決して出てこないと思うんです。
・・それ自体が、ロスコ世代の発想ですか? (^_^;)
それでずっと悩んでいたのですが、
最近、それがケンのロスコへの愛情なのではないかと思えてきました。
ロスコが自分の芸術家魂を貫いて、
苦悩してもがくよりも、
たとえ少しでも救われて欲しかったのではないか、
と思えてきました。
・・これからまた見たら、違う感想を抱くのかもしれませんが・・
そして、ロスコがケンを送り出すラストシーン。
初回はロスコの生涯を知らなかったので、
希望あるラストだと明るい気持ちになって帰りました。
けれど、ロスコがこの数年後にはブラックの絵しか描かなくなり、
そして最後は自殺したということを知った今、
あのシーンは、複雑で重い感情を幾重にも引きずり出します。
ケンは架空の人物ですが、
でも、無数のケンが、ロスコの周りに存在したのだと思います。
いえ、ケンという存在自体、人間ではなくて、
ロスコの葛藤を表象化したものなのではないか、
とさえ思えます・・
この舞台は、本当に素晴らしいです!!
次のお仕事が聞こえてこないのがつらいですが、
是非ともまた、何か舞台をやってほしいです (^o^)/
「RED」を観劇する事になり、こちらのブログと出会い、時々お邪魔させて頂いておりました。
初めてコメントさせて頂きます。
「RED」観劇してきました。
今、カミママ様のブログを読み、お芝居を思い出し泣きそうになっています。
「ただの絵です」…私もカミママ様の言われる通りだと思います。ケンの少しでも苦悩を軽くしてあげたいという、ロスコへの愛情を感じました。
そして、最期アトリエを出ていく時、ロスコへ答えた「RED」…泣きそうになりました。
観て終わった時よりも、今、時間が経ってゆっくりと入ってくる物があり、そこにカミママ様のお話しが重なって、感情が溢れてきてしまいました。ありがとうございました。
慣れず、コメントが長くなりすみませんでした。
普段はコメントに個々にお返事できず申し訳ないのですが、良かったらまた遊びに来てくださいね!